女性が知らない男の怠惰。

映画や音楽。その他日常を綴ったブログです。貴方の目に留まるご縁を。メールはこちらへ。jwpianopiano@icloud.com

映画館で映画を鑑賞する理由。

子供の時、地方都市にある小さな劇場の、教室の黒板のように小さな小さなスクリーンで、あるSF映画を観ました。

最前列を陣取って。

 

子供の目に それは大きく深い宇宙でした。深い闇が果てもなく続いているような・・・

記憶とは不思議なもので、「大きなスクリーンで観たんだ」と、未だに認識は大きなままなのです。子供の頃に映画を映画館で鑑賞するということは、そういうことなのだと思います。

いや、子供の時の経験全てに当てはまるかもしれません。

 

大人になってその体験を求め、例えばIMAXシアターへ行ってみるのですが、その小さな劇場で観たSF映画の余韻は味わえていません。その体験をどうしても越えられないのです。

もう再体験はできない…と受け止めつつ、気持ちのどこかでそれを期待して、今日も映画館へ足を運びます。

 

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このように

映画館に対し、特別な場所という認識を持っているので、退屈に感じる映画に当たってしまった時も、物語について行くのをやめ、ただボーッとその空間に浸ります。

暗闇、無音、有音、雰囲気の中に自分がいるだけでよいのです。全く関係のないことを考えることも。

昔読んだ本で、映画館の暗闇を、母親の胎内に例えた方もいました。

 

映画館の音。

大きなスピーカーからは、テレビやDVDでは聴こえない音まで聴こえてきます。音は空気の振動によって耳へ届きますが、これが、映画館で映画を観た時に、空気感や雰囲気として感知できる理由だと考えています。

意識しなければ、あまり気にならないかもしれませんね。

 

暗闇、空気感として伝わる音、こちら側の他にすることがない集中した鑑賞姿勢、

これら条件が揃った上で鑑賞する映画は、まさしく「体験」と呼べるものだと思います。

 

同じ映画をDVDで観た方の感想と

劇場で鑑賞された方の感想は、

違っても不思議はないと思います。

 

例えるなら、

映画館はお店のラーメン。

それ以外での鑑賞はカップラーメン

…少し強引でしょうか。

少なからず劣化した状態のものを味わっていと思います。

 

 

余談ですが、最近発売の雑誌「BRUTUS」に大林宜彦監督の印象的な一文がありました。

 

監督は、

~映画とは、コマとコマとの間に見えないものを見ることができるもの。その理由は、映写機がフィルムを送る動作の中で、シャッターが上下運動を繰り返している中で、例えば90分の映画なら、50分はスクリーンに映像が映っていて40分は何も映っていないことになり、つまり観客は暗闇に残像を見ている。暗闇の中で、映画館で映画を観ると、決して見えるはずのない心が見える~

・・・かなり省略して記しましたが これを読んだとき、「こんな考え方があったのか!」と溜息が出てしまいました。

 

デジタル上映全盛の現在・・・フィルム上映の映画体験に、人は自分でも気付かない何かを感じ取っていたのかもしれません。

 

髙嶋政宏の「変態紳士」に触発されて…SM感

髙嶋政宏の話題のカミングアウト本、「変態紳士」を読みました。

刺激を受け、自分も何かを表現したくなりました。

 

SMは、私たちが一般的に抱いている以上に、深遠な体験ができるものと、私は考えています。

プレイと呼ばれる行為に本格的に取り組んだことはないのですが、SMを性的嗜好として自分に認め実際に楽しんでおられる方々は、美意識や、感性を日々磨くことに余念がなく、動物よりも、人間的な方たちなのでは…と思っています。

日常の中にも、SM的な出来事、瞬間は転がっていると考えます。

 

例えば、

小さな瞬間なのだけど、自分にとっては長く尾を引くやり取りがあります。

 

先日、仕事で、気高い雰囲気が似合う年上の女性(実際に美人で鈴木京香に雰囲気が似ている)とのこんなやり取りがありました。

前後の脈絡・どんなシチュエーションかは省略しますが、とにかく仕事の電話で、こんなやりとりがありました。

 

私 「できれば…早めにほしいです…」

 

と、言い終わらないかのうちに、

 

彼女 「欲しいんでしょ?欲しいなら欲しいって言いなさいよ!」

 

彼女は、半ば楽しむように冗談交じり微笑み交じりで言ってきました。

 

その表現に反応してしまった。

 

今の言い方以外にもバリエーションがあるのなら聞かせてほしい…

そう思ってしまった。

受話器の向こうの彼女が、私がそんなことを考えながら聞いていたと知ったらどう感じるだろう…

自分がこんなに反応してしまっているなんて、夢にも思わないでしょう。

 

彼女が、そんな言動が似合う女性だから…という大きな理由もあります。

似合わない女性に言われても、なんとも思わないでしょう。

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化粧に、香りに、抗いたくても、抗えない経験をしてみたい。

 

抗えなくさせてしまう程の女性は何処に?

条件を語っている時点でエゴマゾと言われてしまうかもしれませんが、そんなことはないのです。

エゴマゾにだって確固たる美意識があるのです。

女性なら誰でもいいわけじゃない。

 

抵抗できないレベルの美しさ、気高さ、話し方や所作に品を感じさせずに、従順なM男が出来上がるでしょうか。

そうでないのに関係が成立しているとしたら、それは男が妥協し合わせているのだと思います。

S男性とM女性の関係性に置き換えても、全く同じことが言えます。

 

話し方や所作に品のある女性…

そう書いて、それはMの感性を持った女性の方が、当て嵌まる方が多いのではないだろうか?

と思いました。限りなく独断と偏見です。

 

こんなエゴのある男性を虜にすることの方が女性にとっては大きなことだと思うのだが・・・どうでしょうか。

 

女性は、男の精神を犯したい、支配したい、征服したいって考えるのでしょうか。

それとも全て逆で、そうしてほしいのでしょうか。

私は、SもMも片側だけの要素を持っているだけでは、満たし満たされる関係性を構築することはできないのではないかと考えています。

両方の感覚が理解できてこそ、SMプレイができるのでは…と思います。

見逃しそうな些細な点も拾う繊細さがどちらにも要求される行為だからです。

 

想像力も信頼関係も求められます。

 

 

SMは非常に人間的な行為だと考えています。

 

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都会へ行って感じること。

電車の車窓から見える、多くの巨大なマンション。その一つ一つの窓に生活が、人生が。一生出会わないかもしれない人たちの人生。

駅を降りれば、知らない人たちが押し寄せては消えてゆく。

その一人一人に人生が。人間関係が。

 

自分が、知らない人生、把握できない人生、もう、ここで会ったら一生出会わない人たち。

 

都会へ行くと、こんなことをいつも考えてしまう。

見方を変えると、普段、自分の周りにいる人たち、毎日のように言葉を交わす人たちの尊さ、貴重さ、希少さを感じることもできそうなものだ。

・・・しかし、自分は、じゃんじゃん孤独感を募らせてゆく。

この心の動きは何なのだろう。

普段、関わっている人たちとも、実は関われていないのだろうか。

そうなのかもしれない。本音を言い合うわけでもなく、心を許しているわけでもない。

秘密は秘密。言っても理解される気もしない。理解してくださいとも思わない。

寂しさは自分のせいなのか。

自分という存在が遠く遠く、小さく小さくなってゆく。

 

こんなことを真剣に考えていても、道行く女性の色香、その時期に流行っている香水の香りに惑わされて、性欲を刺激される限り刺激されて、局部を脈打たせながら、帰途につく。

 

気持ちが寂しいから、性欲と仲良くなってしまうのか。つながってしまうのか。

寂しくなければ、性欲などやたらと感じずに都会を歩けるのか。

 

 

いつもそう。結局、都会をエロなしでは認識できない。

こんなに苦しいなら男だけに歩いていてほしい。目に付くのは男だけにしてほしい…と考え方が飛躍する。

 

都会=性の街。

思春期から現在まで、そのイメージは変わらない。

 

 

 

「検察側の罪人」を観た。

最初から最後まで、一定の緊張感を保ちながら、役者さんたちの演技に釘付けになれた2時間でした。
演技なのだけれど、演技しているように見えませんでした。
TVでよいか・・・と考える方もいると思いますが、これは映画館のスクリーンで、暗闇の中の雰囲気を味わい、集中して鑑賞されることを強くおすすめします。

ここからは、ネタバレを含みますので、未見の方はご注意を。

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 公式サイトに書いてあり、なるほど・・・と思ったのですが、ファーストシーンの新人検事研修のシーン、最上が「バカ!」とアクセントをつけたのは原田監督と木村拓哉しか知らないサプライズだったのですね。
驚く新人検事たちの中で、沖野(二宮和也)は怯まず、じっと最上を見つめている。
木村拓哉二宮和也の競演の始まり・・・

この舞台裏を知っただけで、もう1度観てみようかな、という気持ちに。

富貴晴美さんの音楽。メロディを覚えて映画館を出る種類の映画音楽ではないのですが、しっかりと物語に寄り添っている、邪魔をせず、エンドクレジットで物語の余韻と共に気持ちよく「あぁ、確かにこんな感じで音楽が鳴っていた」と感じる音楽でした。


中盤以降、最上が自室でPCを見ているシーン、画面の白い光が、最上の顔に反射しているのですが、このシーンほど、スター・木村拓哉の顔が骸骨のように見えたことはありません。ただ疲れ、老け込んでしまった顔でなく、死という領域に踏み込んでしまった男の顔でした。

弓岡を撃つ銃の音。本当に重い重い音でした。震えを感じるくらいの。

 

個人的な不満や?は要所にあり、

オープニングの「検察側の罪人」というロゴのフォントが漫画の表紙に付けるようなフォントに違和感を感じ、
なぜ、都市のビル群が天地逆さまに表現されているのだろう?と考え、
最上の奥さんは、なぜ、二胡を弾いていて、エンドクレジットでも二胡が流れたのはなぜだったのだろう?と考えたり、
松倉を処理した後で、沖野の横を女(芦名星)が歩くかな?と思ったり。


それから、笑いについて・・・

レストランから、沖野と橘がラブホテルへと向かう切り替えのシーンで、ウエイトレスの女性が「そんなにやりたいか」と独り言を言います。
沖野が、隣室に入った時に、多すぎる程のSM道具を見て、引いた感じを出します。
最上が、娘のウィッグを「部屋にいる時はヘルメットははずせ」と言って「ウィッグだよ」というやり取りがあります。


細かい点なのですが、大きく映画の印象が変わる点となったシーンでした。重みのある作品なのに、エンタメ作品の顔をしてる印象を受けました。
TVサイズのキムタクとニノが浮かんでしまったシーンでした。

笑いをとるシーンなのですが、笑いはいらなかったと思います。実際、笑うところなんだろうなと思いましたが、笑えませんでしたから。
それくらい、この作品の題材・役者さんたちの演技・演出には緊張感があったからなのです

ピクリとも笑わなかった私は、最後まで自分を緊張させたまま、鑑賞したかったのです。

 

この映画に突っ込みを入れたくなる人は多数いるのではと思います。

ただ、私のように、俳優さんの演技・音楽・雰囲気にもう1度酔ってみたいな、と思わせる作品でもあります。理屈を言ったらきりがないですが・・・

 

映画館を出た後、しばらく日常に戻りにくかったという事実。いや、あまり戻りたくなかった、もう少し味わっていたいと思えました。

 

作品に力があったのだと思います。

もう一度観ます。映画館で。

8月18日、フィルフィルのジョン・ウィリアムズ2に感じたこと。

当初は短いツイートでもよいかな、と考えていました。けれど、日が経つにつれ余韻が大きくなってきていることに気付き、今回は自分なりの感想・要望を書くに至りました。

コンサートを追体験しようと、ジョン・ウィリアムズ(JW)のCDを聴くうちによみがえるオペラシティでのフィルフィルの音。

JWの設計図を、一人一人の奏者が、特別な思いを乗せて奏でているように感じました。

思いを感じる音でした。


オーケストラ、合唱の方から感じる明るい「陽の気」。
観客の中にいて感じた、会場全体の明るい雰囲気。
JWの、たくさんの人への影響を肌で実感。

オペラシティという会場で演奏すること、オリジナルスコアで演奏すること、プログラムの装丁の重厚さ(内容も興味深い)、公演全体から考えて破格に感じるチケット代・・・素人目にも大変だったのでは、と想像します。

 

ロビーコンサートが始まる前、パラパラとプログラムをめくっていたら、フィルフィル代表の戸田信子氏がJWFC代表 神尾保行氏のことに触れた一文が・・・

目頭が熱くなりました。

 

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ここからは、運営や、権利、技術的なことを一切考えない、勝手なフィルフィルへの妄想です。

 

一聴すると、単純に聴こえるJWの曲。しかし、複雑に編み込まれたタペストリーのようと聞きます。
聞きます、と書いたのは、奏者でない私は、聴いていても実感がないのです(※見ていて実感はできるのですが)
「どこでどの楽器が登場するから厚みが増している」というのを知りたいのです。

私は、オーケストラを上から見渡せる位置で鑑賞し、あの曲のこんなところでこんな楽器が!CDでは聴こえなかった・・・という瞬間を何度も経験しました。

「レイダース・マーチ」のラスト数秒でピアノをあんなに叩いてる・・・
スターウォーズ・メインタイトル」低音が神秘的なレイアのテーマ部分でハープが奏でているのはどんな旋律なんだろう?
というように。

 

この構成の妙を、実演してほしいのです。分解と合体を繰り返し実演という感じで。音の厚みに何が隠されているのかが知りたい・・・どうしたらあんなふうに聞こえるのか知りたい・・・

余談ですが、こんなオーディオアンプがあったらなというのをよく妄想します。それは、アンプにオーケストラを構成する各楽器のボタンがあって、再生中にそのボタンを押すと、その楽器のパートだけが流れるという(バックで弱く全体が流れていて)ここのピッコロの音は?ここのオーボエの音は?という具合に。

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「帝国の逆襲」ハンソロ炭素冷凍シーンや、ペスピンからのルーク救出一連のシーンを、映像をスクリーンに投影しながら、音なしのバージョンと音ありのバージョンで比較実演をしてほしいです。どれだけJWの曲が、映像と相乗効果を及ぼすのかを体感したい・・・

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ジェリーゴールドスミスとジョン・ウィリアムズの曲を交互に演奏してほしい。

スターウォーズ」と「スタートレック
「インディジョーンズ」と「キングソロモンの秘宝」
「スーパーマン」と「スーパーガール」

・・・他にもありますね。

この巨匠2人のアプローチの違いをコンサートの形で体感したい・・・

 

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今回のコンサートのソロトランペットや合唱を見て、これも聴きたかった・・・ という曲は、

「JFKのテーマ」
太陽の帝国~大空のキャデラック」
ジュラシックパーク

「偶然の旅行者 愛のテーマ」

 

我儘言い放題です。

私自身が勝手に感じているフィルフィルの雰囲気や、代表の戸田氏から滲み出る映画音楽への気持ちの強さ、誠実さを考えると、不可能でない気がするのです。

さらなる活動の発展を心よりお祈りします。

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最高の写真。

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www.filmscorephil.com

 

 

 

 

 

 

散々な評価の「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」

シリーズの中でも、評価の低い4作目、「クリスタル・スカルの王国」。

自分は好きだ。

宇宙人やUFOが話に絡んできた為、荒唐無稽なB級映画になってしまった・・・という評価を聞くが、荒唐無稽だったら、1作目の聖櫃(アーク)、2作目のサンカラストーン、3作目の聖杯、の方が余程上だと思っている。今では宇宙人やUFOの方が真実味を感じられる。

 

1作目、「レイダース 失われたアーク」の時には映画人として発展途上だったスピルバーグハリソン・フォードジョン・ウィリアムズ

それぞれが、映画界でも、それぞれ稀有な存在になったのち、このシリーズに帰ってきたのだ。前作から19年ぶりに。

世界中のファンが期待しないわけがない。

 

冒頭、若者たちが乗る車を太陽の光と共に映し出す、と同時に地味なフォントのタイトル文字(およそ20年ぶりの新作というのに、なんてさりげない)

タイトル文字が消えたなと思ったらすぐに、これから短いドッグレースを繰り広げる軍の車が画面に入ってくる。

 

この短いレースに合わせて、キャスト・スタッフの紹介がされるのだが、カメラワークが素晴らしく、一気にスピルバーグの手腕に引き込まれる。(お馴染みの、反射する物に映りこませ、一つの画面で2つの説明をする撮影法だ(ここでは車のホイールとサイドミラー)


Indy 4 - Hot Rod Opening Sequence (HD720p)

インディの登場のさせ方。帽子を被ったシルエットで世界中の観客にヒーローがスクリーンに帰ってきたことを印象的に描いてくれた。ハリソン・フォードが正面から映されたカットのインディ・ジョーンズハリソン・フォード感といったら。

唯一無二、他の俳優が考えられない。

 

前3作の登場シーンと同じで、記憶に残り、後で思い出せる登場シーンだ。(飛行機の中、帽子を深くかぶり眠るシーンもあった。ないのは「最後の聖戦」のみなのでは。このインディが眠るシーンに感じ入る方いるのでは? 何気ないシーンなのだけど、ハリソンフォードは下から撮影しても、もちろん絵になる・・・と思わせるシーンだと思う。スピルバーグもわかっていると思う)

 

昔、淀川長治さんがハリソン・フォードのことをこう言っていた。

「目に沁み込む顔、それがスターの条件」

全く同感です。

 

 

この4作目に、感じるのは怖さ。

3作目までの底に流れていた陽の気が感じられないのだ。2007年製作と言う時代のせいなのか、スピルバーグ自身やスタッフの当然の変化なのか・・・(スピルバーグ自身が暗いと振り返る「魔宮の伝説」。私は荒唐無稽なものと割り切って鑑賞したから、暗いとは思わなかった)

この4作目に自分が感じた”怖さ”は何か?

それは、シリーズ中、一番真実に近いテーマを扱っているのではないか?という点と、エリア51の倉庫内で見つかる異生物や核実験のキノコ雲が妙にリアルなことだ。娯楽映画であれだけリアルなキノコ雲を観たことがない)

 

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想像以上にリアルで不気味なキノコ雲

 

嘲笑うかのように評価されるラストの宇宙船オチだが、これが、もし真実に近いことを描いていたらどうだろう?

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前3作の撮影を担当していたダグラス・スローカムの色彩は明るくハッキリとしていた。今作からは、ヤヌス・カミンスキー

シンドラーのリスト」以降、スピルバーグ作品には欠かせない人で、薄い色調と、要所で光の反射を、品や風格を感じさせて撮影する人だ。スピルバーグが娯楽作と距離を取り始めたころに、ヤヌス・カミンスキーとの仕事が始まっていることも興味深い。

その、カミンスキーがインディジョーンズの絵を撮るということが興味深々だった。

メイキングから得た情報だが、スピルバーグから、「前3作の色合いで撮影してほしい」と注文されていたようだ。

自分は観ていて、インディジョーンズの絵だけど、よい意味で品がよくなったと感じた。光や影の使い方で、より感じ入ることの多い映像が随所にあった。

 

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ヤヌス・カミンスキーの映像は、人物の周りを優しい光が包みこんでいる。

 

 

同じように・・・

例えるならワインのように、熟成され、丸みをおび、味わい深くなったのは、ジョン・ウィリアムズの音楽だ。

メインテーマは、もう4度目のバージョンだが、角がなくなって聴きやすくなったと感じた。(1作目のロンドン交響楽団の演奏の人気が高いのは知っている。重厚だが、自分は荒々しく感じるのだ)

1作目は勇ましく、2作目は軽妙に、3作目は、「これで最後だ」と、少し力の籠った演奏。

そして、この4作目は演奏になめらかさと、力強さ、余裕を感じさせるものだった。

1作目でも演奏されたマリオンのテーマが挿入されるのだが、この4作目のマリオンのテーマの演奏は格別だった。愛のテーマが成熟した愛のテーマになったと感じられたのだ。

 


www.youtube.com

ジョン・ウィリアムズ自身、このマリオンのテーマを2008年に編曲し、2016年には新緑している。28年以上前に作曲した曲に、別の思いを馳せて作曲者自身が完全な形に近付ける。その音楽を聴き込んできたファンにとって、なんて贅沢な事だろうと思った。

ジョン・ウィリアムズは最近、スターウォーズ 帝国の逆襲の「ハンとレイアのテーマ」も同じように編曲し熟成させた。どちらも、素晴らしく、奇しくも同じハリソン・フォードが演じている)

 

サントラ2曲目に、「クリスタルの誘い」という曲がある。

自分たちが知り得ない壮大な時間をかけて、はるか昔からのメッセージに触れる。いや触れてはいけないメッセージ。こんなイメージを想起させる神秘的・ミステリアスな曲。アークのテーマや、聖杯のテーマもよかったけど、この「クリスタルの誘い」もよかった。

 

この作品で引退した、ポスターアーティストのドリュー・ストルーザンも忘れてはいけない。「クリスタル・スカルの王国」は数々の印象的な映画ポスターを手掛けてきたアーティストが最後に描いた映画作品でもある。

 

クリスタル・スカルの王国」はまだまだ、語ることのできる作品だ。

スピルバーグ監督の、最新作、「レディプレイヤー1」が公開されるので、思いつくままに書いてみた。

 

 

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ジェームズ・ホーナーと人生

YouTubeで、ジェームズ・ホーナーの「アンドリュー NDR114」のテーマ曲をピアノ演奏する外国の方の演奏を聴いた。


Bicentennial Man - The Gift of Mortality (Piano Cover; comp. by James Horner)

鍵盤に触れるその人の思いが伝わってきたのはもちろん、

この演奏を聴いて、改めてホーナーの曲は美しいなぁと感じた。生きる喜びも悲しみも肯定している美しさ。

思わず、ごそごそと、棚にあるサントラを引っ張り出して聴き始めてしまった。

日本では「タイタニック」が1997年に公開された後、2000年の春に公開されていた。

このサントラを聴いていると、ホーナーが、おそらく、仕事も私生活も、人生で充実していた時期に書かれた作品なのではないのかな?と想像してしまう。

 

ホーナー自身が、人生をどう捉えていたのかが伝わってくるような作品なのだ。人生と過ぎてゆく時間を、こんなに美しく胸が締め付けられるようなメロディで表現してくれる。

聴いていると気持ちが、映画の外に向かい、自分の人生の様々なシーンにも繫がる、思い出させてくれる、そんな力がこの「アンドリュー NDR114」のサントラにはある。

曲に魂がこもっているから、自作の流用(よく言われている)とかそんなこと、どうでもよくなってしまう魅力がジェームズ・ホーナーの曲にはある。

 

ロビン・ウィリアムズ主演のこの映画は、この後、ハリーポッターを監督するクリス・コロンバスの作品でもあった。

この映画が表現していたのは、「人生」だと捉えている。

もう少し短くできたのではないか?と思ってしまったことも事実だが、好きな作品なのだ。

ロビン・ウィリアムズジェームズ・ホーナーも、この世を去ってしまった。

それもあって、当時よりもこの作品、曲と向き合う時に、「人生」というものを意識するようになった。

 

最後に、この映画の為に書かれた歌、セリーヌ・ディオンが歌う「ゼン・ユー・ルック・アット・ミー」の歌詞から引用し終わろうと思う(作詞がウィル・ジェニングスでタイタニックの主題歌、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」以来、再び共同作業の3人だ。この2曲は親子のような関係だと思っている)

 

” 笑と涙、生と死

人生とは夢のようなもの

毎日、私は自分の生きる道を

魂を、人生の意味を探し続ける”

 


Bicentennial Man - Then You Look At Me (Celine Dion)

 

桜に思う。

今年も、桜が咲いた。きれいなピンク色で春の訪れを教えてくれた。

でも、私が桜を見て、一番感じているのは ”悲しみ‘ 。

こんなに悲しい花はないんじゃないかと思う。

こんなに、散ることを連想させる花はない、とも思う。

 

月並みな表現だけれど、

あの人とあと何度、この桜を見れるだろうか? と思ったり、

すぐ散ってしまうことの儚さ、を感じたりで、

どうしてもマイナスの感じ方をしてしまう。

 

秋の始めに、枯れゆく葉や、落ち葉、枝を見ている時の方が、気持ちは安定している。

次に再生が待っている、そう期待と未来を感じれる。気持ちが落ち着くのも感じる。なぜか安心している。

 

これとは対象的に、桜を見た時の気持ちが・・・

悲しみしか感じない。

きれいだなと思いはしても、悲しいが勝ってしまう。

 

暗さの中に明るさを見出す方が自分らしい。

これが私の思考回路。

 

桜は、咲いている時は悲しみ。


 

散る時に、未来を感じさせてくれる花。


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「午前十時の映画祭」素晴らしい企画なのに…

「午前十時の映画祭」という企画、4月から9回目を開催するようです。

名作を観たことがある人、ない人、両者にとって、この企画は素晴らしいと思います。

TOHOシネマズ、ユナイテッドシネマ、イオンシネマ、MOVIXなどで上映。

近くのシネコンでも「午前十時の映画祭」をやっていますが、いつも残念に感じていることがあります。。

それは、例えば、10スクリーンあるうちの一番小さなスクリーンで、この企画を開催していることなのです。鑑賞料金も¥1,100だし、リバイバルということでしょうがないのかもしれませんが、観客の立場からすると、観に行く気持ちが萎えてしまうのです。観に行かない理由になってしまうのです。

シネコン側の、しょうがなく開催している姿勢を想像してしまうから…

昨今は、一般家庭でも40インチのTVで映画鑑賞ができるようになりました。大きな画面が昔より身近になっているのです。

だから、昔の作品をもう一度スクリーンで観れるだけではなく、大スクリーンという付加価値が欲しいのです

大スクリーンでもう一度観れる!と感じさせてほしい。

 簡単にレンタルできる作品を、映画館へ観に行く大きな理由がこちらは欲しいのです。

せめて、中くらいのスクリーンで上映してもらえないでしょうか?

タイタニック」「トップガン」「E.T.」がそういう扱いだったら非常に寂しいと心配します。大きなスクリーンのイメージが特に強い作品だから。

七人の侍」も、黒澤明監督の作品だったら画面、構図を大スクリーンで鑑賞したいと思う方は少なくないはずです。

そして、「やはり映画は、映画館で観なければダメだな」と心底思いたい(常に思っていますが)

 

※午前十時と言わず、十四時くらいからの午後のロードショーテレビ東京)のような時間帯も希望します。