女性が知らない男の怠惰。

映画や音楽。そして性的嗜好を赤裸々に綴ったブログです。貴方の目に留まるご縁を。

映画館で映画を鑑賞する理由。

子供の時、地方都市にある小さな劇場の、教室の黒板のように小さな小さなスクリーンで、あるSF映画を観ました。

最前列を陣取って。

 

子供の目に それは大きく深い宇宙でした。深い闇が果てもなく続いているような・・・

記憶とは不思議なもので、「大きなスクリーンで観たんだ」と、未だに認識は大きなままなのです。子供の頃に映画を映画館で鑑賞するということは、そういうことなのだと思います。

いや、子供の時の経験全てに当てはまるかもしれません。

 

大人になってその体験を求め、例えばIMAXシアターへ行ってみるのですが、その小さな劇場で観たSF映画の余韻は味わえていません。その体験をどうしても越えられないのです。

もう再体験はできない…と受け止めつつ、気持ちのどこかでそれを期待して、今日も映画館へ足を運びます。

 

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このように

映画館に対し、特別な場所という認識を持っているので、退屈に感じる映画に当たってしまった時も、物語について行くのをやめ、ただボーッとその空間に浸ります。

暗闇、無音、有音、雰囲気の中に自分がいるだけでよいのです。全く関係のないことを考えることも。

昔読んだ本で、映画館の暗闇を、母親の胎内に例えた方もいました。

 

映画館の音。

大きなスピーカーからは、テレビやDVDでは聴こえない音まで聴こえてきます。音は空気の振動によって耳へ届きますが、これが、映画館で映画を観た時に、空気感や雰囲気として感知できる理由だと考えています。

意識しなければ、あまり気にならないかもしれませんね。

 

暗闇、空気感として伝わる音、こちら側の他にすることがない集中した鑑賞姿勢、

これら条件が揃った上で鑑賞する映画は、まさしく「体験」と呼べるものだと思います。

 

同じ映画をDVDで観た方の感想と

劇場で鑑賞された方の感想は、

違っても不思議はないと思います。

 

例えるなら、

映画館はお店のラーメン。

それ以外での鑑賞はカップラーメン

…少し強引でしょうか。

少なからず劣化した状態のものを味わっていと思います。

 

 

余談ですが、最近発売の雑誌「BRUTUS」に大林宜彦監督の印象的な一文がありました。

 

監督は、

~映画とは、コマとコマとの間に見えないものを見ることができるもの。その理由は、映写機がフィルムを送る動作の中で、シャッターが上下運動を繰り返している中で、例えば90分の映画なら、50分はスクリーンに映像が映っていて40分は何も映っていないことになり、つまり観客は暗闇に残像を見ている。暗闇の中で、映画館で映画を観ると、決して見えるはずのない心が見える~

・・・かなり省略して記しましたが これを読んだとき、「こんな考え方があったのか!」と溜息が出てしまいました。

 

デジタル上映全盛の現在・・・フィルム上映の映画体験に、人は自分でも気付かない何かを感じ取っていたのかもしれません。