ものすごく感動した…
わけではないのだけど、とてもパーソナルなイベントに参加し体験した気分になったので文章に残しておこうと思った。
たかが映画なのだけど、何か大事な物事に立ち会わされたような不思議な感覚。
逆光催眠を受けているようだった。
公開された国は51ヵ国。
日本は51番目に公開された国。
なぜ、日本が最後の公開になったのだろう…
多神教の我が国は、開示されても特にパニックにはならないだろうから?
それとも、未だ時代劇のように鎖国状態だから?
「E.T.」と「未知との遭遇」は、言わずもがな、感触は、「マイノリティリポート」と「ペンタゴン・ペーパーズ」
隠された真実を暴いていくサスペンス。
けれど…
エンターテイメントの姿をして、
皆の無意識をくすぐり、準備させる映画なのでは…と感じた。
涙を流した方がいるようだ。
もしも、隣に座った人がすすり泣いていたら、それが誘い水のようになって、自分も涙を浮かべてしまったかもしれない…
あ、これは…というシーンが数カ所、確かにある。
鑑賞前から私にとって、
題材、監督、音楽、撮影、全てスペシャルな作品。
映画を、ただ鑑賞するだけでなく、スタッフにも興味を持ってご覧になる方なら、
ジョン・ウィリアムズによる音楽、
ヤヌス・カミンスキーによる稀有な色彩感覚、鏡や反射を利用した独創的な撮影を味わうだけでも貴重な作品だと思う。
現役スタッフ最高齢、2026年時点で94歳、ジョンウィリアムズの音を、映画館のスピーカーから聴ける幸せ。
録音メイキングを観たら、車椅子でオーケストラを指揮されていた。
サスペンスを盛り上げるアンダースコアは緊張感たっぷり、かつ若々しく、その年齢とのギャップときたら。
創作物を、世界中から、こんなにも待たれる94歳を、私は他に知らない。
主要なアクションシーンの一つである列車のシーン。
音楽を付けていないのは、この作品は娯楽作品とは位置づけが違いますよ、という表明に感じた。
サントラの一曲目と、本編エンドクレジットの途中からメインの扱いで流れる曲名「listen…」
劇中、マーガレットの最後の台詞でもある「listen…」
何度か聴くまで気付かなかった。
それは、ディズニー映画「ピノキオ」に付けられた有名な「星に願いを」の音程を変えた曲だということ。
「メロディーの変形」や「旋律の再構成」が行われている。
「未知との遭遇」に効果的に意味を伴って使われた「星に願いを」が、宇宙の他者への強い憧れを表したメロディだとしたら、
「listen…」は、覚悟を持ってその真実を知るような、悲しみや叫びのようなメロディに聴こえる。
スピルバーグはジョンウィリアムズにどんなことを伝えたのだろう…
↓ 「未知との遭遇」サントラより、「星に願いを」のメロディ部分。
↓ 「ディスクロージャー・デイ」サントラ1曲目より、「listen…」
ーーーーーーーーーーーーーー
ここからは、内容に触れます。
未見の方はご注意を。
この数十年、能動的にUFOの番組を追いかけるように観てきた人ならすんなり。
日常にUFOのカケラもない人には、入ってくるのが難しいかもしれない。
マーガレットとダニエルのように子供の時、アブダクションされた方が、思い出せない記憶の断片を持っていて、この作品に触れたとしたら、何も感じない人とは雲泥の差の鑑賞体験になると思った。
物語は、ディスクローズ(開示)に向かって進み、ラスト数十分で映画的な盛り上がりを伴ってディスクローズされる。
通常の視点から暴露映像を見たら、今までどこかで目にしてきた物体や生物の断片的な映像。
そこに驚きはない。
もう、テレビやネットで散々目にしてきたから。
しかし…
もしも…
もしも、あの断片的な暴露映像の中に本物が混じっていたら、私たちは知らないうちに開示をされていたことになる。
"立ち会わされた"
感覚になった瞬間があった。
テレビ局に姿を表した宇宙人 (こう書くと、ほんとうに陳腐)は、世に広くイメージが浸透しているグレイ型。
登場のさせ方は、あまりにも普通。
50年近く前、「未知との遭遇」で、クライマックスの遭遇を、光と音を用い神秘的に描いたスピルバーグが、なぜあんなに淡々と宇宙人を登場させたのか。
なぜ、あんなに作り物めいて見えてしまったのだろう。
人間と手話で対話する宇宙人は、本物を見たこともないのに、これは本物なのでは?と、思わせる説得力があったのに。
今作だってこのシーンに至るまでは、映画的な技妙に満ちていたのに…
ここで2度目のもしかして…だ。
"本物"だから、ありのままを撮影したのだろうか。
いや、まさか。
(ちなみに私個人は、グレイは、"ほんとうの存在"が創り操る有機的なAI生命体だという説を支持する)
物語がいよいよとなる時、謎めいた協力者であるヒューゴが、今作でいちばん長い台詞を口にする。
観客に語りかけるようなその口調、ゆっくりズームするカメラに、スピルバーグが映画を通しほんとうに伝えたいことは、ここに集約されていると感じた。
UFOや宇宙人の存在を暴露、というエンターテイメントの形を借りて。
台詞の響きには聞こえなかった。
そして…
これは私の考え。
存在することの証明よりも、大事なことがある。
それは、
どんな驚きのディスクローズが起きても、その前に、自分の存在が大前提にあるということ。
この世界で、いろいろな出来事が起きても、自分が存在しなかったら、出来事は起きなかったのと同じ。
自分がいて、はじめて外側の出来事が出現、認識できるのだから。
外側で何か起きて、自分が気付かされることよりも、内側からの気付きの方がはるかに大事なこと。
UFOの存在、宇宙人の存在を知りたいと、考えている自分がなぜここに存在しているのか…
自分がいなければ、その疑問もなかったと同じこと。
どんなことも、常に自分がいなければ…
なこと。
誰かの誕生とともに
毎日、その世界は生まれ
誰かの死とともに
毎日、その世界は滅亡している。
自分が存在していることの方がはるかに不思議だ。
存在しなければ不思議も感じられない。
たかが映画なのだけど、
触れた方、一人一人の、何らかの気づきに影響している気がしてならなかった。
いや、どんな映画もそうか。
↓ マーガレットの幼少期の部屋を再現し、記憶を呼び起こすシーンに流れた曲。
鑑賞後に聴くと涙が…







