女性が知らない男の怠惰。

映画や音楽。その他日常を綴ったブログです。貴方の目に留まるご縁を。メールはこちらへ。jwpianopiano@icloud.com

「インターステラー」を・・・体験した。

素晴らしかった。

 

人が死んで、残された人を見守ったりシグナルを送るというような体験談を聞くことがあるけれど、この映画で描かれていたように、そういうことなのかな?と思わせてくれたことがです。

人は死んだら肉体は無くなるけれど、違う次元に存在することになるのかもしれない。

すんなりと、そう思えたのです。

 

映画全体に、神秘的な雰囲気を漂わせていたのは、ハンス・ジマーの音楽。パイプオルガンの響きは私の日常には馴染みがなく、今まで音を聴いたところで、気持ちよいと感じたこともありませんでした。

 

ハンス・ジマーの音楽は、「パイレーツオブカリビアン」も、「ダークナイト」も自分は心を動かされてこなかったのです。

ところが、インターステラーの音楽で、ハンス・ジマーの印象がガラリと変わってしまいました。パイプオルガンの認識も。

映画音楽の歴史の中でも、シンセサイザーとパイプオルガンを融合させ、感情的な高ぶりの表現に成功したことは、画期的なことではないでしょうか。

 

※2018年、2020年、と、IMAXスクリーンでのリバイバル上映が実現しました。

見逃された方は、次の機会が巡った時には、IMAXスクリーンでの初体験を強くおすすめします。

鑑賞というより、体験と表現したほうが正確だと思いました。

未見の方は、PCの画面やTVの画面で、この映画に初めて出会わないことを心より願います。

f:id:jwpiano:20201025183621j:plain

 

箇条書きの性

今日は勢いでづらづらっと書きます。

 

エロスはギャップです。ギャップが大きいほどエロが大きくなっていきます。

いやらしそうな女性がいやらしいことをしたって、いやらしく感じません。

まぁ、そうだろうなってどこかで感じ止まりなのです。

どろどろの欲望をうまく隠し、真面目そうな女性がいやらしいと、本当にいやらしい。

こんな卑猥な言葉を、こんなに真面目そうな女性が口にしている。それだけでいいのです。スタイルや顔など関係ないです。

淫らな言葉で弄ばれたい。弄んでいる自分に、弄ばれている私に、どちらも興奮するような感性を持つ女性がいいです。

 

エロスは表現力。言葉で仕草で表現される。

頭の良い女性ほど、表現力が豊かな気がします。

想像力・妄想力がこちらの範疇を超えてくるのです。

頭の良い女性はいやらしい傾向があると信じていて、尊敬を含めて大好きです。

普段は束ねている髪の女性が、騎上位で髪を解き、首を振った一瞬のしぐさ、そこから乱れる姿・・・本当にたまりません。

白目の範囲が大きな女性、目が据わっている女性、音楽を愛する女性、楽器を奏でる女性・・・きりがありません。

 

 

 

・・・

もう寝ます。

誰かの名言に感じ入ります。

☆人の為と書いて偽り。

 

☆普通をやると実力がわかる。スポーツ・音楽・映画・お笑い・・・いろんな分野でそうなのではないでしょうか。

「ベタをやるには技術が必要」と志村けんさんが言っていました。

 

☆「私が説明されなければ理解できないような ”美” というものを信じない」~チャップリン

 

☆持っていない物は与えられない。喜びも楽しさも朗らかさも。

だから、誰も困らなければ、自分にたくさんの喜びを。

 

☆緊張しないほど、集中する~浅田真央

 

☆大事なことは大抵、面倒くさい~宮崎駿

 

☆情報は出して(アウトプット)覚える~茂木健一郎

 

☆いつやるか?今でしょ!(大事な言葉だと思います。)~林先生

女性化粧品・香水に感じてしまうこと。

デパートの化粧品売り場の香りが好きです。たまらない。

私にとって、女性の化粧品の匂いは性の匂いです。脳が体が発情してしまうからデパートの婦人化粧品売り場には近づかないようにしています。真剣に。

笑われるかもしれませんが、買い物に集中する為の切実な対策なのです。

化粧をするという行為、香水を身に纏う行為が、色気のある行為だと思います。化粧する理由の数パーセントは異性を考えた行為。

美を表現する為の行為なのかもしれませんが、その美を感じた私は性的な興奮を覚えずにはいられません。美と同時に、鼻の奥へと運ばれる化粧品・香水の香り・・・誘惑の香り。

女性の特権。私が、すっぴんでも、綺麗な女性に反応しないのは、化粧と言う行為にたまらない色気を感じているからだと思います。

元々、女性=高貴な性という基本的な認識が強い私。

女性を抱くというより、実は男性は、抱かれているのでは?という考え方を持っています。

その女性が、化粧をし、香水を身に纏い、制服に身を包んでいるのです。

気高く見えないわけがないじゃないですか。その気高い女性に、性的な気持ちよさを求めてしまうのです。

女性の前では、かっこつけていたいという男の考えと裏腹にどこか包まれたいと思うところがあるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつだったか、AVで、赤い口紅を塗った妖艶な女性の口為を見ました。

その女性が、途中で口紅を塗り直した時・・・! ・・・私は、驚きました。

私の、こうしてほしい、こうあってほしい、を表現していたからです。

 

性的な興奮の大半は視覚と聴覚を辿り、脳が感じるもの。乳首でもペニスでもありません(私の場合)

これを製作した側・演じた女優側、どちらの発想かは、わかりませんが、今までのAVではなかったこと。静かに驚きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は自慰の時、果てる数秒前から、女性の香水を鼻へと近付けます。

香水を付けた女性の恥部がストッキングに守られながら、顔面に密着してきたことを想像して。

鼻腔を通り抜ける性の匂い・・・

次の瞬間、女性の色気・妖気と共にだらしなく果てるのです。

 

・・・充分にひかれたと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

f:id:jwpiano:20201027234202j:plain

 

 

 

小室哲哉の報道~文春を否定するなら

小室さんの件に関する、週刊文春の報道に関して、文春を責める意見を聞きました。

「文春はやり過ぎだ」という、さじ加減を指摘する意見にも違和感を感じました。

文春は人の不幸でご飯を食べている・・・ということに異論はないのですが、

文春が単独でスクープしたことをじゃんじゃん広めて大騒ぎに発展させているのはTV・ラジオ・ネット・そして私たちであって、それが文春にとっての大義名分だと思います。

 

文春=悪だとして・・・

悪は単独では存在できない。周りが支持してはじめて大きくなれる。

文春は、やり過ぎだというなら、私たちも不倫やその他、人の不幸に興味があり過ぎるのでしょう。

文春がここまで、大きくなれたのは、楽しんで注目する人が多いからだと思います。

一人一人が、「そんなもの興味ないよ。買わないよ。」となるまでは世の中は変わらない。

一方で、「人の不幸は蜜の味」な人間の脳の作りが変わるなんてあるのだろうか?とも思います。

 

みんな結局、それを見て、ああだ、こうだ言いたいのかもしれない。文春がやり過ぎだっていう記事を書いてもお金は稼げるのだし。このようにブログを書けるのだし・・・

 

私はといえば、「また、誰かの不倫問題で騒いでるな」と、他にニュースはないのか、と思いつつも、

・誰々が~賞を受賞しました

・誰々が子供を出産しました。

・誰々がこんな素晴らしいことをしました。

という喜びや幸せニュースばかりが流れていたら、TVなんてつまらなくて観ないだろうなぁ・・・と考えています。

 

誰かの死亡事故のニュースを、私はご飯を食べながら見ます(食事中にTVがついていれば見ることになるのですが)死亡事故のニュースが流れたって食事の手を止めるわけでも、正座をするわけでもないです。

世間のTV前も、同じ状況なはず。

 

今の世を生きる人は、人のことを言える人はいないと思っています。

簡単に言える環境ではあるけれど。

 

文春を否定するなら、自分たちのことも否定しないといけない。

文春を否定できるのは、始めから週刊誌の存在を否定していて、TVやラジオで流れようものなら、即座に消し、ネット記事も興味だけで閲覧しない人たちだと思います。

 

※小室さんの、「Still Love Her」という曲が大好きです。

 

箇条書きの映画

☆完璧なオリジナルなんて、この世にはありません。すでに誰かが作ったものを使って表現するしかないから。絵画・映画・音楽その他あらゆるものに至るまで。 既存のものを含んだオリジナリティ溢れるものなら たくさんあるのだろうけど。 キューブリックはどう考えていたのでしょうか・・・

 

☆暗闇の中の四角い光・静寂・他のことができない状況・空気感・知らないうちに感じ取っている情報量は計り知れない。 映画館は体験。 DVDはモニター。 劣化したものを見て、その映画を体験したと言ってはいけないと思います。

☆突出して語り継がれる映画は、製作された年がわからないと思いませんか?

これ、いつ撮影されたものだろう?と。

カラーになってからのキューブリック黒澤明の作品に、それを感じます。

☆例えば「ワーキングガール」という映画の、ハリソン・フォード登場シーンのように、何度も感じ入りたいシーンが自分にはあります。

 

☆これから公開される映画の、1枚の場面写真、批評家の文章、予告編・・・そういうのに触れている時がいちばん楽しいです。
映画は、待っている時が、いちばん楽しいです。

 

 

箇条書きの音楽

「はい、ここからサビです、みたいな曲が嫌いです」

よい曲は最初からサビのようです。
 
「謝罪、反省をしたからと、 許され、聴かれるアーティストがいるなら、そもそも それは、 たいしたアーティストじゃないのでは・・・」

本物はそんな次元じゃないです。

 

上を向いて歩こう」・・・なんて前向きな曲。
しかし、自分が ”上を向こう” という気になるのは、もっと救いようのない暗い曲。「暗い中に希望を見出すのです」

 

久石譲の曲は、感傷的でキャッチー。しかし、主人公に寄り添っているのか?というとそうでもない感じがするのです。
語り部として、距離をとって音をつけているようなそんな印象を受けます。

 

ジョン・ウィリアムズの曲は、曲が呼吸をしているように感じます。生き物みたいに。活き活きと。

 

f:id:jwpiano:20201025183728j:plain

 

本田莉子さんの表現力

私はアロマ企画の作品が好きです。

個人的な性癖(フェチ)に特化した作品を20年以上も産み出し続けているからです。そして其々のジャンルの先駆者。

今あるマニアックなメーカーは、アロマ企画が"開拓した場所"の上で作品を製作している

ようにも感じます。

アロマの中でも、「痴女」は好きなジャンルの一つ。

好きな理由は、女性が性に能動的になった時、どんな欲求を持っているのかを知ることができ、その為の、言葉、仕草、動作を観ることが、感じることができるからです。

 

どんな言葉で

どんな仕草で

目の動きで

男性の精を搾り取ってゆくのかを

味わうのかを

 

観ることができるからです。

 

 

夢野あいだ監督の作品に出てくる痴女は、奇抜な衣装(配色や素材)を着用していて、厚化粧、という印象が強いです。

赤いルージュの唇が、ヌメヌメと蠢く様子は女性器を連想させて堪らないのですが、化粧の厚さが、日常から遠くを感じさせてしまっていることも否めません。

夢野あいだ監督の作品を追ううちに、

本田莉子さんの「スケベ淫語クラブ」という作品に出会いました。

大大興奮を経験しました。

本田莉子さんの表現力、演技力、言葉の選び方(しかも、噛まないのです)滑らかに流れるように発せられる淫語の数々、抑揚の付け方。体のしなやかな動き。これぞ女性といった視線の動かし方。

Chapter1のシチュエーションは特筆すべきだと思います。

私は、女性のエロスは、普通のきれいな女性が、こんな言葉を使い、こんな淫らな格好で挑発している・・・がポイントだと思っています。

夢野監督からはどんな指示があったのでしょう?

大まかな流れは説明されて、後は本田さんのアドリブだとか?

それくらい、自然かつ いやらしく、能動的でいて、気高いものをこの本田さんには感じました。頭がすごく良い女性なんだろうな。でなければ、こんな言葉や流れ、産み出せません。

 

それから、数作品、本田さんの作品を鑑賞しましたが、この作品に感じたものを超えるものに出会えていません。夢野監督と、本田莉子さんの相性がよかったのでしょうか。

 

 

 

私の哲学を独り言のように箇条書きで。

「ピアノを弾けば、深く音楽を感じられる。自分で料理をすれば、食事が深く感じられる」

 

だから、どんな分野でも作ったことがない人の批評は参考にならないと思います。

経験したことで違う感想を持つようになる。

もちろん客観的な感想は大事、とは別次元の話です。

 

「我慢・躊躇・葛藤なく、平気で人の言われたくないことを言ってのける人間が嫌いです」

 

「人と人は、壊すために人間関係を結んでいるのではないか?と感じる時があります」

 

「あらゆる”そうでない人”が存在するからこそビジネスになるのだと思います。

幸せでない人がいるから、幸せになろうとする本が売れる。仕事が生まれる」

 

「欲しい欲しいと思っている時には欲しいものは手に入らず。

もう興味がなくなった時に、それがふんだんに流れ込む」

 

小さなことから大きなことまで、

人生の法則だと思っています。

 

「幸せは、幸せだったと気づくもの」

その時には感じれない。幸せはその時が過ぎ去って、あの時幸せだったのだと、気づくものだと思います。

 

「大事なことには理由がない」

人を殺してはいけない理由? なぜ、息をしなければいけないのかと聞いているのと同じです。大事なことには理由などありません。

 

「相談できる悩みは悩みではない」

悩みを人に相談できる人は、その悩みは、ほぼ解決しているのだと思うのです。本当の悩みは、人に言えない。言うために頭に思い出すことも脳が拒否してしまうほどのもの。

この人生を閉じるまで持ち続けねばならないもの。

 

「出会う人の中に自分がいる」


そして、相手の心を観る時も、自分の観たいようにしか見れない。つまり、自分を見ているのだと思います。

自分の内側にないのなら、外で起こっていることを見た時、何をやっているかわからないのではないか?と思うからです。

人は自分の発想でしか他人を見れないから、他人を通して実は自分を見ているのだと。

自分の傍の、素晴らしい人間、汚い人間、この目には両方映ります。自分が、両方を持っているからだと思うのです。

 

「誕生日とは、親に感謝する日のこと」

 

「感じようと思う時って、感じれない」「味わいたいと思うことは味わえない」

 「癒しを感じるのに時間の長さは関係ない」

映画・音楽・本・あらゆる日常で言えると思います。

 

「力じゃなくて、やり方」

 

 「人生は不思議でスピリチュアル、大事なこと」

けれど、それを意識せず片隅に置いて生活することはもっと大事。答えが隠されていることにも理由があるのだから。

 

「上手いか下手か…でなく、気持ち」

 

 

「有るという気持ちがあるだけで、すでに持っているという余裕があるだけで、欲が小さくなる」

 

「アクシデント・・・思いがけないことが、いつもの流れの中で起きたら、それはそれでよいということ。知る由もないが、起きる意味があり、起きた方がうまくいくということ」

 

 「2つで迷った時、人に(こっちと言って)と思っている方が正解」

 


「浮かんだら、寄り道せず真っ直ぐ。タイミングという波に乗る為。チャンスを逃さない為」

 

「物事が、”やりやすい”となった時、”速い”という現象が生まれる」

 

「虫眼鏡で光を集め、エネルギーを創る。同じような集中力を」


「出来事の先端にいること。今の先端にいること。流れていること。」

 

「生きることは恥をかくこと

 

 「しなければ、より、したい、が正解」

 

「信念と、体験をふまえ、自分で考えること」

 

「自分はニュートラル、だから関わる人を能動的に選ばないと、いろんな色に染まってしまう。選ぶというのは前向きな行為」

 
思い立った時に、行動して感じ入らないと、別の時には感じることができない。
だから、きっと、「この時が全て」なのだ。
一番、味わえるのは、そう思った時。
いつかはない。その時に感じ入ること。
しかも、それは短くてもよい。長さではない。

リラックスを意識した時、リラックスすることはできない。
雨を意識した時、雨に感じ入ることはできない。

みな、振り返ってそうだったと気付くもの。
あぁ、今リラックスしていたな、と後で感じるもの。

 

人を好きになると、自分の中にこんなにきれいな部分があったのか、と教えられる。逆に汚い部分を教えてくれる人もいる。
出会う人は、自分がどんな人間かを教えてくれる。
「その人への反応が、自分」

 

「状況が乱れても、心は乱れない。・・・が、他人の心の乱れに心は乱れてしまう」

 

「状況がいい時にいいのは当たり前。悪い時のその人で、自分は人を判断する」

 

「出さないと入ってこない」

 

「持ち過ぎると、落とす」

 

「手放して得る」

 

「物との関係は、夜空の花火。消えるのがわかっているから、一期一会だから、しっかりと美しさを”その時”に味わおうとする」

 

 

f:id:jwpiano:20201025182158j:plain