女性が知らない男の怠惰。

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「スターウォーズ 最後のジェダイ」とジョンウィリアムズに感じたこと。

f:id:jwpiano:20180110220950j:plainスターウォーズ 最後のジェダイ」2回目を鑑賞しました。

いろいろ言われている本作、どんなことを言われているのか、大まかな印象は・・・脚本が破綻している、スターウォーズの世界じゃない・・・といったところでしょうか。

 

私は、今迄の作品にもそういう点はあったし、それがスターウォーズじゃないか・・・と思っています。

生真面目で細かいところがとても気になる(よい点だと思っている)気質の日本人には、手放しでは賛辞できないというのもわかります。

しかし、これは、楽しもうというお国柄の人達が創った、大ざっぱな愛すべき作品。その中に突出した光を放つものがある作品。

 

・唐突なミディクロリアンの設定

・C3-POを創ったのがアナキン

・R2が空を飛べた。

・レイアが妹

パッと浮かぶだけでも、これらがあります。

 

あっけないと言われているスノークの最期にも、自分は乗れました。

そこから、背中合わせになって護衛たちと戦うレイとカイロ・レンのシーンは2回目も夢中になれたシーンです。

ファルコン号が窮地で登場し、狭いところを猛スピードで飛行するシーンも燃えました。

一瞬、地表にファルコンの影が映るカットのたまらなさといったら…

 

一方、

ベニチオ・デル・トロの出演シーンの「地球の普通の映画感」は何でしょうか。

髪型も目の充血具合も二日酔いの地球の人間で・・・

こちらの色眼鏡でしょうか…

 

 1度目はシネコンの通常スクリーンで、2度目はIMAXで鑑賞。

IMAXは素晴らしいというのは「ダンケルク」で体験しています。

同じ体験をIMAXに期待したのですが、以外にも、そこまでよくなかったのです。

もちろん、画面も大きく、音もよいのですが、IMAXカメラで撮影されていない映画を、IMAXシアターで上映すると、画質のボケや粗さが気になるのです

画面の上下に黒帯が出て、通常IMAXよりサイズが小さいという点も。

 

IMAXシアターで上映する前提で、IMAXカメラで撮影された「ダンケルク」は画質も精細で、いやでも「ダンケルク」の世界に入り込めました。

 

「最後のジェダイ」でそれを体験できなかったのは残念です。画面が大きいというだけで、IMAX料金を支払う価値を見出せませんでした。

あまりにスクリーンが大きいので、最後部に座っても画面全体を目で追えないというIMAXの特長も関係しています。

 

 

 

 

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レビューであまり触れている方が見当たらないのですが、最高齢スタッフ、作曲家ジョン・ウィリアムズの音楽に、今回も感じ入り堪能しました。

いや、自分にとって、スターウォーズの新作を鑑賞するということは、ジョン・ウィリアムズの新作を鑑賞するということなのです。全編、彼の音楽が鳴り響いています。

この、あと少しで86歳になられる音楽家が、映画鑑賞中も、海の向こうで生きている、新曲を、映画館のスピーカーから聴くことができる・・・自分にとって、それは奇跡なのです。世界中のファンにとっても。

 

響きは、新作が発表される度に、クラシカルなものに。

認識に間違いがなければ、PC作曲が多数の時代に、未だ、紙と鉛筆から産み出されている音楽です。

サントラ、7曲目収録の「THE REBELLION IS REBORN」、という曲を何度も聴いています。

この曲、2分38秒から45秒までの7秒間の表現には溜息が出てしまいました。

ウィリアムズの曲は、いつもこんな瞬間を経験させてくれるのです。   

一聴するだけなら聴きやすい普遍的な簡素なメロディ。

しかし、突出した音楽家としての数秒間、75年以上の音楽キャリアが産み出した数秒間。

だから味わい深い。

同じ事をエピソード2の愛の曲、「アクロス・ザ・スターズ」にも感じたことを思い出しました。

作曲家の数だけあるような、シンプルな悲恋のメロディ。

その 2分2秒の「ティンパニの一打」

初めて聴いた時、この一打の響きにも溜息が。

このティンパニから、シンプルな曲が徐々に複雑な構成になってゆく。複雑なことをしているのだけど、シンプルに聴こえるというのが正しいでしょうか。

高度な技術を感じさせないようにシンプルに聴かせるというのもウィリアムズの特長だと思います。

 

既に、

ジョン・ウィリアムズは、批評する対象でなく、研究する対象になってる気がします。

それだけ、特異な存在。他に似ている人がいません。不世出。

この頃の、ウィリアムズの作風は・・・という具合に分析される対象になっていると思います。

音で、スターウォーズという物語を語ってくれるジョン・ウィリアムズ

物語に音楽を付けたのではなく、物語を音楽で語ってくれたのです。

ハリーポッター、インディジョーンズ、スーパーマンジュラシックパークE.T. ・・・

同じことが当て嵌まります。

彼が、音楽を担当しなくなった以降のスターウォーズは、スターウォーズに似たものになるだろう・・・と本気で思っています。

本当の意味でスターウォーズスターウォーズじゃなくなるのは、ジョン・ウィリアムズが音楽を担当しなくなった時。

 

スターウォーズの世界=ジョン・ウィリアムズの世界。

 

 

 

 

世界は、仕事でできている。

なんてシンプルで力強いキャッチコピーでしょう。

しかも真実です。

 

山田孝之さんが出ていた缶コーヒーのCMのものです。

 

そう、今この時、この空間も人が作ったし、このスマホも、人が作った。

人がいなければ、発信もできません。

 

灯りも

電源も

空調も

道路も

水道も

これから口に運ばれる食べ物も...

 

世界は、仕事でできている

仕事は、気持ちでできている。

 

仕事に感謝。

 

 

皆、気付かず自慰をしている。

気持ちのよいこと・・・楽器を演奏する、料理する、食事、お酒を味わう、映画に感じ入る、曲に感じ入る、景色に感じ入る・・・何でもいい。人は、みな、気持ちの良いことが好きなのです。

嫌いという人は見たことがありません。

 

気持ちのよいことを、「自慰」と言うなら、みな自慰をして生きていることになります。人間は、だから、存在そのものがセクシーな存在なのかもしれません。

私は、女性の口から発せられる、淫靡な言葉が好きです。その人の外見からは、とてもそんなことを言うとは思えない。そんな女性の口から発せれる淫語が好きです。

そういったAVが好きで、よく鑑賞しますが、ただ淫語を言えば、男が興奮すると考えているような、作り手や演者の考えが透けて見える作品が多い気がします。

言いそうな女性が言っても、何のいやらしさもないのです。

この女性は隠していたのだな、性的な欲求を…

ここに「いやらしさ」の本質があると思います。

見えそうで見えないミニスカート、スリットの入ったスカート、下着が図らも透けてしまったスカート…

どれも同じ「いやらしさ」を感じてしまいます。

裸で前に立たれても、逆に女性としての「美しさ」を感じてしまうでしょう。

 

…話は逸れましたが、

私は、女性のどこに性的な淫靡さを感じるのか?

それは、前述した、「この女性の口からこんな言葉が!」 というギャップと、男の顔では表現できない目の表情。この2点です。

目がどっしりと据わっていて、男のふわふわした甘ったれた目では、決してないのです。

 

女性が考えているほど、顔や、服装や、体のラインに私は欲情しません。きれいだな、と感じはしても、性的な衝動にはつながらないのです。

 

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※余談ですが…

 

公道をバイクで爆音暴走している若者は、自慰をしながら走っていることになります。自分にとって気持ちの良い爆音に酔って、みなの前を走っている。皆に自分のオナニーを公開しながら走っている。

「暴走族」なんて、響きはやめにして、

「暴走自慰族」

…みたいに恥ずかしい響きにしたらいいんです。

 

 

 

 

 

 

「エイリアン」に散りばめられた性的暗示。

 

エイリアン/ディレクターズ・カット (字幕版)

エイリアン/ディレクターズ・カット (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

今年、最新作が公開される「エイリアン」・・・その造形は暴力的な男性器そのもの。1作目は、巨大な男性器が、よだれを(精液を)垂らしながら、最後まで生き残った女性を執拗に追いかけていた。

映画ラスト・・・生き残った女性主人公が、怪物と対峙し、ゆっくりと下着から宇宙服に着替えながら睨み合うシーンは、男性へのサービスカットでもなんでもなく、男性が女性をレイプすることの暗喩だったと思います。だからこそ世界中の女性が本能的な恐怖を感じたのだと…

射精という欲望の爆発の後、性器を見つめてみる。

暴力的な爆発、ゆっくり脈うつ肉、垂れてくる残りの精液・・・

「エイリアン」を連想してしまいます。

 

映画冒頭、未知の宇宙船へ探索の為に入っていくクルー。

ここで、エイリアンに寄生されてしまうのですが、この宇宙船の入り口デザインが女性器でした。

入ってくる人間を、待ち構えるように静かに口を開け、湿気を孕む闇に呑み込んでしまうかのような洞窟入り口=女性器。

 

そして怪物は、女性器から生まれ、よだれを垂らしながら女性を追い回す。

 

私は、「エイリアン」を、

いつも性的視点で感じてしまいます。

今度の新作も、同じように見てしまうでしょう。

 

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追記

 

ハリウッドでセクハラに関する様々な出来事が公になってきました。

大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタインの件を発端に。過去30年前に遡って、その痴態が暴かれようとしているのです(真実か否かはともかく)

 

女性たちが立ち上がった。

いや、立ち上がりやすい時代になったのでしょう。

巨大なペニスが女性を追いかけまわしていた「エイリアン」シリーズ。

生みの親、リドリー・スコット監督の最新作「エイリアン・コヴェナント」。

その続編が、製作されないということを、最近知らされました。

「エイリアン・コヴェナント」の興行不振が原因ということですが、

私は、ここに、女性が立ち上がれる時代の象徴的なものを感じました。