女性が知らない男の怠惰。

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小室哲哉の報道~文春を否定するなら

小室さんの件に関する、週刊文春の報道に関して、文春を責める意見を聞きました。

「文春はやり過ぎだ」という、さじ加減を指摘する意見にも違和感を感じました。

文春は人の不幸でご飯を食べている・・・ということに異論はないのですが、

文春が単独でスクープしたことをじゃんじゃん広めて大騒ぎに発展させているのはTV・ラジオ・ネット・そして私たちであって、それが文春にとっての大義名分だと思います。

 

文春=悪だとして・・・

悪は単独では存在できない。周りが支持してはじめて大きくなれる。

文春は、やり過ぎだというなら、私たちも不倫やその他、人の不幸に興味があり過ぎるのでしょう。

文春がここまで、大きくなれたのは、楽しんで注目する人が多いからだと思います。

一人一人が、「そんなもの興味ないよ。買わないよ。」となるまでは世の中は変わらない。

一方で、「人の不幸は蜜の味」な人間の脳の作りが変わるなんてあるのだろうか?とも思います。

 

みんな結局、それを見て、ああだ、こうだ言いたいのかもしれない。文春がやり過ぎだっていう記事を書いてもお金は稼げるのだし。このようにブログを書けるのだし・・・

 

私はといえば、「また、誰かの不倫問題で騒いでるな」と、他にニュースはないのか、と思いつつも、

・誰々が~賞を受賞しました

・誰々が子供を出産しました。

・誰々がこんな素晴らしいことをしました。

という喜びや幸せニュースばかりが流れていたら、TVなんてつまらなくて観ないだろうなぁ・・・と考えています。

 

誰かの死亡事故のニュースを、私はご飯を食べながら見ます(食事中にTVがついていれば見ることになるのですが)死亡事故のニュースが流れたって食事の手を止めるわけでも、正座をするわけでもないです。

世間のTV前も、同じ状況なはず。

 

今の世を生きる人は、人のことを言える人はいないと思っています。

簡単に言える環境ではあるけれど。

 

文春を否定するなら、自分たちのことも否定しないといけない。

文春を否定できるのは、始めから週刊誌の存在を否定していて、TVやラジオで流れようものなら、即座に消し、ネット記事も興味だけで閲覧しない人たちだと思います。

 

※小室さんの、「Still Love Her」という曲が大好きです。