女性が知らない男の怠惰。

映画や音楽。その他日常を綴ったブログです。貴方の目に留まるご縁を。メールはこちらへ。jwpianopiano@icloud.com

ノンフィクションに音を付けたらフィクションに。

実際に起きた悲惨な事件・過酷な状況を追体験するようなジャンルの映画・ドラマ・ドキュメンタリーがあります。

ノンフィクションです。

 

”ノンフィクションの創作物” は、もしかしたら、体験したことのない人間のエゴ・探究心を満足させたいだけかもしれない、と思うことがあります。

事件の実際の体験者は、語りたがらないでしょうし、思い出すのも嫌と言います。当事者、それに近い体験をした人は、もう2度と似たような体験はしたくないのだと。

なぜ、忘れたいのに思い出さなければいけないものを見なければいけないの?と彼らは言います。

 

実際に苦しい思いをした人は、もう2度とそこに戻りたくないのです。

それが、体験者の心のリハビリになる・・・という意見は、体験したことのない人間のセリフだと思います。

 

鑑賞している間、涙を流し、怒り、共感しても、終われば日常に戻っていけるという保障があるから、鑑賞できるのだと。

私は、創作物に付く音楽は好きですが、ノンフィクションだったら、音楽を付けてほしくないです。なぜ、音楽でこちらの気持ちを高ぶらせたりしようとするのか、と冷めてしまうのです。

とにかく、伝えるのだったら、エンターテインメントにしてほしくないのです。

※ワイドショーを見ていてもそう思います。

なぜ、事件・事故に音楽を付けるのだと。「ここで音楽入れて」

という舞台裏を、私は軽蔑します。